AGA・医療記事の執筆は
「たもつ」にお任せください!
プロフィール
「お金が理由で妻や将来の子どもに不自由をさせたくない」
「親への恩返しをしたい」
この決意がきっかけで
”なんとなく”
やってた副業ライターに
本気で取り組むように。
今では副業で月20万円以上を稼ぎながら
本業で理学療法士をするライターになれました。
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こんにちは。たもつです。
今回は、僕のプロフィールページに
お越しいただきありがとうございます。
今まで、自分のことを公開する機会が
そんなになかったので、
ついに開示してみようと思います。
正直、緊張してます。
胸がドキドキです。
でも、最後まで読んで、
どんなこと思ってくれるんだろう
ってワクワクもあります。
Xのポストだけでは分からない
僕の過去や裏側、本心などなど
丸裸になるまで見せていきます。
どうぞお楽しみに。
少しでも「たもつ」のことを
知ってくれたら嬉しいです。
さて、ここでは
Xの中では絶対に言わない
- 僕のこれまで
- 僕の生い立ち
- 僕が感じたこと
まで全て語っていきます。
「なぜ、副業をしているのか」
「稼いだお金でなにをしたいのか」
も語っていきます。
保(たもつ)の本気の「自己紹介」
ぜひご覧ください。
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あらためて、僕のことを簡単に説明すると、
千葉県でひっそりと生活してる20代男性です。
他にも箇条書きで紹介すると
- 理学療法士、FP2級の国家資格持ち
- 理学療法士として総合病院に3年勤務
- 市役所の方と一緒に介護予防の活動したり
- 職場の職員対象に腰痛予防の取り組み
- 副業収益累計100万以上
- Webライターで月に10〜25万稼ぎ
- ミラコスタのテラスルームでプロポーズ
- サッカーをこよなく愛する
- 次の目標は子供が自由に暮らせるマイホーム
これだけ見ると、
「なんだ成功してんじゃん」
って思うかもしれませんね。
でも、意外とそうでもなくって
これまでいくつもの挫折や失敗をしてきました。
ライター初めて1年目は
「まだ若いからいいや」って
適当に仕事してたり
ライターに飽きたから動画編集に手を出し、
勢いで25万のスクールに入会。
結局、肌に合わないからといって
ライターに逆戻り。
稼ぎたいからと言ってはじめたのに、
教材だけ買ってお金が飛んでいくばかり。
X見てたら、
周りには自分と同い年で
月100万円以上稼ぐライターがいたり
コンテンツ販売で月200万勝手に入ってくる
なんて人もいたりします。
友人の理学療法士の中には、
「スポーツトレーナーになる」
って単身、兵庫に乗り込んでいつのまにか
J1チームのトレーナーになってるやつもいます。
そうゆうの聞いて、
「なんて自分ってダメなんだろう」
「なんのために生きてるんだろう」
って思ったこともありました。
でも、どうしても心の根底には
こんな考えがあったんですよね。
「何者かになりたい」
「稼げるようになりたい」
「お金で判断を迷いたくない」
「子どもには不自由なく生活させてあげたい」
僕がなぜこんなふうに思うようになったかは、
・これまでの僕の生き方
・親からの育てられ方
が大きく関係しています。
ちょっと長くなりますが、
お話させてください。
サッカー大好きな小学生
僕の家族構成を先に紹介しておくと、
・父:会社員
・母:公務員
・兄(3つ上):大学院卒
つねに3つ上の兄の背中を追っかけてる少年でした。
兄が出かければ後ろについていって、
兄の友達ともたくさん
遊んでもらった記憶があります。
そのときのたもつは、
とにかく活発だったらしいんですよね。笑
一人で動き回るから、
家の中で転んで泣き叫ぶ
なんてしょっちゅうあったらしいです。
今でも親に言われるエピソードは、
コンビニの駐車場で転んで
車止めに頭をぶつけて出血。
おでこに傷ができたことです。
なんかハリーポッターみたいな傷あるんですよ。笑
(最近でこそ目立たなくなってきましたが、、、)
と、なんか危ない感じもしつつ、
元気で明るい子だったらしいです。
つねに兄の背中を追っかけたので、
自然と兄が始めたサッカーをするように。
なんどかグラウンドについていき、
本格的に始めたのは小学3年生。
成長期も早く身体も大きかったため、
「お前はキーパーだ!」
と言われたのを覚えています。
毎週土日は練習場所に自転車で通って、
終わった後は友達の家でゲームしてましたね。
で、身体が大きかったんで足も早かったんですよ。
クラスのリレー選手に毎年選ばれたり、
市の陸上大会に出たり、
小学生って「足速いのが正義」
みたいなところあるじゃないですか。
だからいろんな人からチヤホヤされてました。
今の
「人に褒められたい」「認められたい」
って思いはここで形成されたのかなって。
小学6年生では身長も157cmぐらいあったので、
サッカーもそこそこできたんですよね。
気づけば将来の夢は
「プロサッカー選手」
だから、中学にあがるタイミングで
部活ではなく
クラブチームに行くこと
を選択したんですよね。
ここから
少しずつ嫌なことと向き合う人生がスタートします。
パッとしない中学時代
僕が中学時代通ってたクラブチームが
どんな感じだったかというと、
- 毎日往復1,500円ぐらいの交通費
- 遠征は1回2万円
- カバンとかスパイク代
- 月ごとの会費
はい、めちゃくちゃお金かかってます。
他にも、
- 夜10時ぐらいにご飯用意してくれる
- 間食としておにぎり握ってくれる
- 遠い会場まで試合に見に来てくれる
金銭面だけじゃなくていろんな面で
親はサポートしてくれてました。
中学生時代はそのありがたみに
気づけてませんでしたが、
今考えたらやばいですよね。
それをまったく見せる素振りもなく、
「好きなんだったら頑張りなさい」
この一言で背中を押してくれました。
でも、いつのまにか
僕はサッカーが嫌いになっていくんです。
それは主に「友人関係」が原因。
実は、マジメな性格だった僕は、
初のいじめ?を受けました。
チームメイトに少し気の強い子がいたんですけど、
その子にパンを買わされたり、
ボールを隠されたり
小さな嫌がらせを受けてたんですよね。
クラブチームでの出来事だから
親はまったく知らず。
僕もとてもじゃないけど言えない状況。
親にバレるきっかけになったのは、
ある出来事がきっかけ。
その子に
「宿題を代わりにやってくれ」
「◯日の朝にここに持ってきて」
と言われ、
断れずに宿題をやり当日の朝に
「今日は走ってくる」と親に伝えて
集合場所に行こうとしたところで
声をかけられました。
「手に持ってるのはなに?」
そう聞かれ、うまく答えられなかったんですよね。
そこで宿題をやっていることがバレて、
ほかにも嫌がらせを受けていたことを話すことに。
その子の親にも連絡をとり、
親同士が話し合いその場は終わりました。
それから
「クラブチームに行きづらい…」
そう思ってからは
なにかと理由をつけて休んでましたね。
中学1年生の終わりごろ、
親に「辞めたい」とつたえ、
クラブチームは辞めることに。
それでも親は
「よく頑張ったね」
と温かい声をかけてくれました。
結局、中途半端に辞めてしまった僕に対して
けっして怒ることなんてなかったです。
初のいじめを経験してから、
あまり人前で自己主張をしなくなりました。
目を付けられるんじゃないかってヒヤヒヤです。
チヤホヤされていた小学生時代から、
少しずつ目立たないようにって
自分を押し殺して
生活するようになっていきました。
自分の感情に気づいた高校時代
クラブチーム辞めてから、
そこそこ勉強に励んでいたので、
高校は県内の進学校に進みました。
それなりの学校だったので、
周りはもちろん勉強ができる。
僕もはじめこそはついていけましたが、
いつのまにか授業が分からなくなっていきました。
順位も400人中300位とか。
クラスでも下から数えた方が早かったです。
そんなこんなで、
勉強から逃げてサッカーやってました。笑
なぜか分からないですけど、
先輩の試合に出させてもらったりして、
自分の代でも中心として活動。
ただ、それが良くなかった。
自分の力に慢心して、
あぐらかいて、
テキトーに練習してたんですよね。
「どうせ試合でれるだろう」
案の定、結果がでない。
試合には負ける。
気づいたら、
後輩の子にポジション取られてました。
そのとき気づいたんですよね。
「あー、悔しい」
「何してんだろ、自分」
今までは”なんとなく”上手くいってたんですよね。
背が高いから、
足が速いから
あとは、嫌なことがあったら逃げてたから。
全力で努力した経験が圧倒的に少なかった。
だから上手くいかなくても、
全然悔しくない。
心に響いてなかったんです。
でも後輩にポジション取られてから、
初めて自分の感情に目を向けられたというか。
「こんな気持ちあったんだ」
って気づきました。
そこから必死に頑張りました。
もがいてもがいてやっとことでレギュラー奪還。
高校最後の試合には無事出場できました。
逃げ出さない自分が
少しだけ生まれた瞬間でした。
で、部活も終わり、
今までこれといって意志もなく生きてきた自分には
本気で行きたい大学も学部もありません。
勉強もしてないからいけるところも限られる。
そんなとき親から
「理学療法士は?」
「昔、お世話になったでしょ」
まさに鶴の一声。
中学時代ケガしたときに
リハビリ受けたことがあったんですよね。
とくにやりたいこともなかったので、
今の学力から行けるところを必死に探しました。
努力しないくせに、
周りからはよく見られたかったので、
なんとなく「私立や専門学校はいやだな」
ということで、
東京の国公立大学を受験。
無事、理学療法学科への合格をはたしました。
このときから、
- 周りに流され
- 自分の意志がない
人形のような僕ができあがっていた気がします。
少し努力した大学時代
大学に入学し、人生の夏休みと呼ばれる大学生活がスタートしました。
でも医療系の学部って意外と甘くないんですよね。
・筋肉の名前
・ついてる場所
・臓器の働き
とか人体に関していろんなことを勉強します。
座学にくわえて、
切っても切り離せないのが
”実技試験”
まー嫌いでしたね。
座って筆記のテストなら割とできたんですが、
実技ってなると頭がまっしろになる。
うまく喋れない、思い出せないんです。
2年生に入ってから
実技試験が本格的に始まったんですけど、
5個ある実技のうち4つは落ちてました。
再試バンバン受けてました。
教授からも
「またお前か」
「そんなんで大丈夫か」
って心配される始末。
正直、恥ずかしいですよね。
みんなは受かってバイトや遊んでるなか、
自分だけ残って実技の練習。
また一つ自分のなかで
出来ないことが発覚した瞬間でした。
これまで
・周りに流される
・自分の意志がない
という状態にくわえて
・本番に弱い
・テンパってしまう
というのが追加。
「なんだその程度の弱みかよ」
って思う人もいるかもしれませんが、
今考えるとほんとに
「中身のない人間」です。
ただ
「周りから認められたい」
「できないやつと思われたくない」
そんな思いで、
ひたすら実技を練習。
卒業する頃には、
全部の試験で1発合格するまでに。
その頃からちょっとだけ
努力するようになったんですよね。
4年間はあっというまに過ぎて、
千葉県の総合病院に就職しました。
あることに気づいた社会人1年目
病院に就職したんですけど、
その理由もとくになく
”なんとなく”
っていうのが強かったんですよね。
意欲もそこまでなかったので、
”なんとなく”出勤して
”なんとなく”リハビリして
”なんとなく”勉強する
そんな毎日でした。
ちなみに貰った初任給は
「心から親になにか恩返しがしたい!!」
って感じじゃなく
「親になにかあげとけばいっか」
ぐらいで、中華街でご飯をごちそうしました。
(お父さん、お母さんごめんなさい)
これも自分の意志ではなく、
周りからみたときに
”いいやつ”を演じたかったんだと思います。
そんな感じで過ごしてた社会人1年目ですが、
あることに気づきました。
「理学療法士って給料すくない????」
この職業って
初任給はわりともらえたりするんですけど、
昇給がまあ少ない。
先輩に聞いても「あんまり上がらないよ」って
「これじゃ頑張っても年収1,000万には届かない…」
”なんとなく”年収1,000万の響きいいよな~って
思っていた自分は、勝手にガッカリしてました。
開業する?いやでも大変そう…
じゃあ転職?面接嫌いだし…
とこんな感じで
年収を上げたいけど
やらない理由を見つけては
他の方法を探してました。
そんなときにたどり着いたのが
”副業”という選択肢。
ここから本業+副業の
チャレンジが始まります。
いろんな副業にチャレンジした社会人2年目
本業で稼げないなら副業すればいいじゃない
と気づいた僕は、
副業についていろいろ調べ始めました。
- ブログ
- せどり
- 動画編集
- プログラミング
- アフィリエイト
- コンテンツ販売
いろいろある中で、
まず”かっこいい”という理由から
プログラミングを選択。
はい、すぐ挫折しました。
まさに3日坊主、いや2日でしたね。
独学でYouTubeみて、
見よう見まねでやりましたが
わけわからん。
そっこーでシフトチェンジしました。
次に目を付けたのはブログ。
なにに惹かれたかというと
”不労所得”
記事をかけばそこから
何もしなくてもお金が入ってくる。
「うわ神じゃん」って思いましたね。
無料で失敗したことを思い出し、
ブログで有名な方の講座を受講。
安くはない値段しましたが、
「お金払えばやるんじゃないか」
そんな考えで申し込んでた気がします。
結果、ブログも断念。
いやー続きませんでした。
というか
収益が出るまで1年かかるって聞いたときから
自分に合わないかもって気づくべきでしたね。
でもそこで講師の方から
「Webライターやってみたら?」
と提案が。
そこから、
僕の副業Webライター生活が始まります。
講座内で書き方や営業方法は学んでいたので、
月1万円はすぐに達成しました。
初めて報酬が入ったときはもちろん感動しました。
「本業以外で稼げるんだ」
「好きなことに使えるじゃん」
「意外とWebライターって楽勝??」
なんてことも思ってました。
まぁそんな甘い世界はないですよね。
3か月ぐらい一切収益が伸びませんでした。
受けてた案件が
個人のスポーツブログ記事だったので、
丁寧にFB返してくれたり、
納期もわりと余裕をもたせてくれてました。
たぶんですが今の僕が
当時の僕の記事やコミュニケーション見たら、
そっこーで打ち切ってますね。
そのぐらいひどいレベルだった気がします。
基本の「キ」の字もなってなかった。
だから月1万円から
単価も収益も上がらなかったんですね。
でも次第に慣れ始めて、
3万〜5万を推移するようになりました。
もちろん稼げて嬉しいんですが、
なんか心がモヤモヤしはじめたんですよね。
「僕って稼いで何したいんだろう…」
そうなんです。
納期に遅れないように記事を書くのが
目的になってたんです。
だから書いても書いても
「楽しくない」「嬉しくない」
もう作業ですよね。
気づいたら
ライター=つまらない
自然と気持ちが離れていき、
いつの間にか案件は0に。
ここでも僕の中途半端さが
目立ったんですよね。
”なんとなく”稼げるから続けてたWebライター。
確固たる意志や目的がないまま続けていき、
大きく稼げてたわけでもないから、
すぐに辞める。
で、そのあと僕が考えたのは、
「時代は動画編集だーーー!!」
って言いながら、
合計25万円ぐらいのスクールを受講。
もうほんとに何してるんですかね…
本業のボーナスつぎ込んで、
「クレカの支払い危ないかも」
なんてこともありました。
約1カ月ほど、
動画編集にチャレンジした結果は、
報酬0円でした。
ソフトの使い方は覚えて、
自己紹介動画も撮って
案件も応募して
テストにも合格して
本案件だー!ってときに
「なんか意外と大変だな…やめよう」
「やめるなら今のうちだ」
ふと思ったんですよね。
気づいたら案件を辞退する文章を送ってました。
また中途半端ですよね。
結局、中学や高校時代から
なにも変わってませんでした。
・嫌なことがあったら辞める
・ちょっと努力して辞める
人間なかなか変わりません。
こんなダメダメなマインドをもちながら
またWebライターに戻りました。
”なんとなく”ライターを続けているうちに
僕の運命を変えるできごとが。
僕を変えたのは彼女との同棲
僕の副業への意識が明らかに変わったのって
彼女と同棲し始めてからなんですよね。
社会人2年目の10月。
同棲するってことは、
少しずつ結婚を意識し始めるというか。
なんとなく結婚するんだろうな〜って
そうなったときに、
「将来どうすんだ、俺」
ってふと思ったんですよね。
いままで、なあなあで生きてきたので
確固たる目標とかありません。
副業始めたときの
漠然とした「稼ぎたい」
この思いはありましたが、
深掘りはできていなかった。
じゃあ、なんで稼ぎたいのか
そう思ったときに1番にでてきたのが、
「妻や子どもに不自由をさせたくない」
でした。
お金を理由になにか諦めたり、
やりたいことに挑戦できない。
そんな悔しくて悲しいことなんて
ないじゃないですか。
なんでこの考えに至ったかというと、
親の影響が強いかなって。
小学生時代の話で紹介してますが、
サッカーやらせてもらったり
クラブチーム行かせてもらったり
言ったことはいろいろ
やらせてくれました。
ほかにも、
・年に2回は家族で国内旅行に行ったり
・月に3回ぐらいは外食したり
・海外旅行も5カ国ぐらい行きました。
「なんだ、裕福な家庭か」
って言われそうですが、
強く否定はしません。
今の自分の
「お金で不自由させたくない」
この気持ちを強くもてたのは
親のおかげなので。
親がいろんな経験をさせてくれたからこそ、
自分も子どもや妻に
いろんな経験を積ませてあげたい。
この目的が根底にあることで、
副業への覚悟が変わりました。
“なんとなく”
“人に流され”
だったのが
“やるしかない
“自分の意思をもって”
に変わり行動するように。
”なんとなく”を卒業した副業ライター
そこから
・クラウドワークスでの応募
・クライアントとのやりとり
・全力の記事執筆
ライターに関わることは
今まで以上に全力でやるようになりました。
バチバチの覚悟があると
自然と行動してるんですよね。
文字単価0.8円のSEO記事から
・最高文字単価は5.0円
・1記事1万円
・1記事6,000円のディレクション
・1つ1万円でクリニックのバナー作成
とガムシャラにやってたら
いろんなこと経験してました。
報酬も最初こそ
月5万だったのが、
9万になり、
14万になり、
ついに副業で月25万まで達成しました。
本業の月収とほぼ同じ額。
いやー嬉しかったです。
“なんとなく”生きてた
ただの理学療法士が
“なぜやるのか”
を意識して行動したら
ここまで稼げたんです。
舞い上がって奥さんに報告したら
「頑張ってたもんね!偉いよ!」
今までもらったどの褒め言葉よりも
嬉しかったです。
実は僕自身、そこまで物欲がありません。
ユニクロの白T、黒Tめっちゃ着るし
ブランド品には興味がない。
だからこそ
稼いだ分は周りに使っていきたい。
もちろん今後も稼ぎ続けるために
自己投資はしつつ、
奥さんや親への恩返しをしていきたい。
国内のいい旅館とか連れて行けたらいいなって
僕の価値観を作ってくれた
親や奥さんへの感謝の気持ちを
行動で伝えていきます。
また僕は今まで
”なんとなく”
で生活することが多かった。
人に流されて、
自分でやりたいことも見つけられない。
見つけても頑張れない。
そんな思いをしてきました。
そんな僕でも、ガムシャラに頑張ったら
副業収入で本業の収入を超えられたんです。
副業やろうと思っても頑張れない
本業やりながらライターするのがどれだけ大変か
身をもって体験してます。
そんななかでも僕が頑張れたのは、
「奥さんや子どもに不自由させたくない」
「親へ恩返しをしたい」
この気持ちがあるから。
だからこれからも
全力で価値提供しつつ
働き続けていきます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
長々と
見ていただきありがとうございました。
気づいたら
7500文字超えてました。笑
こんなに僕のことをさらけ出しことはありません。
「あーわかる」
「同じ経験したな~」
「これからも頑張ってほしい」
ちょっとでも感じたことがあったら、
LINEでもXでも教えてください。
感想いただけたらうれしいです。
それでは、
ありがとうございました。
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